2011-04-18




昨晩はしっかりとオトツナガリしてきました。
共演者のスチョリさん、うぐいすパークのお二人、DUKEさん、
そして企画のまりさんありがとうございました。




2011-04-04



昨晩maimaiに

Nabowa+Port of Notes

を観に行ってきました。

Port of notes の畠山さんは気仙沼ご出身

で地震後長い間ご家族と連絡が取れなかったそうです。

幸いにも安否確認がとれたとの事ですが

故郷の風景は消え

ご家族は大変な生活を強いられているようです。


地震のこと

胸が締め付けられる思いがします。

僕自身2度の大震災を経験しました。

特に2006年のジャワ中部地震の

記憶が鮮明に甦ります。


どうすることもできない大きな揺れ。

何が起きたのかわからなかった。

こみ上げてくる恐怖と共に

阪神大震災の事が脳裏をよぎる。

あれと同じだ、と思った。

おさまるのをベットの下でただ祈る事しかできなかった。

借りていた家の天井の一部は落ち

部屋の壁に大きな亀裂が入る。

倒壊した塀、

裏手の家は今にも崩れそうになっていた。

玄関先に停めてあったバイクは

倒れて割れたミラーが散乱している。


家の前で近所の人たちの炊き出しがすぐ始まる。

地震数時間後バンバン先生夫妻がお見舞いにと

食べ物を持ってきてくれた。

長蛇の列を作るガソリンスタンドやスーパーマーケット。

道路の隆起や大きな亀裂、

瓦礫の粉塵、騒然とした空気、穏やかな町は消えた。

見慣れた光景が一瞬で変わってしまった。

3日後電気が回復し少し落ち着く。

数週間家の前の広場

で大きなテントを張って村の人たちと一緒に寝た。

夜中に隣の家から地震のショックで

錯乱した女性の悲鳴と子供の泣き声をきく。

やるせない気持ちになった。

村の治安の為交代で夜警団に加わった。

近所の人と一台のテレビでワールドカップ

日本対ブラジル戦を観た。


よく参加させてもらっていたガムラングループの

シンデンの方が夫とともに亡くなった。

僕に練習の機会をいっぱい与えてくれた二人だ。

今でも時々レコーダーに録音されている彼女の歌声をきく。


全壊してしまった大学

見る影もない学び舎の姿

瓦礫に埋もれたガムラン

教室に置き忘れたグンデルのバチはもう見つからないだろうと思った。


テント暮らしのトゥルスト先生の

憔悴した顔。

スニョト先生の家の瓦礫撤去の手伝い。

壊滅したトゥグ先生の村を彼と一緒に見て回った。


これからどうすればいいのかと途方に暮れた事。


すべてわすれることはできない。


東北地震の映像をみる度

よみがえる記憶に胸が苦しくなる思いで過ごしていました。

ただ僕としては

心が塞ぎそうになる

こんな時だからこそ

とてもとても小さな存在で微々たる力の

自分だけれども

日々しっかり生きて

何か自分にできる事を探し

やっていかねばと思いました。


ジョグジャカルタのいたるところでbangkitの文字があった事を思い出します。


これ以上の不幸が被災地に降りかかりませんよう。


一日も早く平穏が訪れる事心から願っています。